ベルサイユのばら 名言集

恋愛

一斉を風靡した「ベルサイユのばら」

完結して50年ほど経っています。

アラフィフのお姉さんたちは馴染みがある漫画でしょう。

近所のお姉さんの中で、すごく流行っていたのを私は覚えていますが、

大人の恋愛と歴史の内容が、私にはちょっと理解するのが難しくて、

実際にしっかり読んだのは大人になってからでした。

当時、近所のお姉さんがあまりにも「オスカルオスカル♡」言っていたので、

私は、大人になるまで、オスカルは男だと思っていました(笑)

こんなにも情熱的な漫画だとはつゆ知らず、

宝塚で長年公演されて、今でも多くの人に愛されているのも今ではものすごく理解できます。

池田理代子先生が描く絵も、とても麗しくて素晴らしいのですが、

ところどころで聞かれるセリフがなんと言っても艶やかと言いますか、

クサイと言いますか・・・

「愛」を一言伝えるにしても、言葉の選び方が詩的で秀逸だと思いました。

もうほとんど物語の全てが名言のようなんですが、私の選りすぐりの名言を紹介していきたいと思います。

オスカルとはヘブライ語で「神と剣」を意味するそうですよ。なんかかっこいいですね!!

「ベルサイユのばら」名言・・・オスカル

わたしはいま・・・自分がどうしようもなく恥ずかしいのだよ・・・
誰に対してでもない・・・
自分自身にたいしてたまらなく恥ずかしいのだ。
何もかも知っているつもりでいた・・・
与えられた毎日の生活を、当然のものとして受け止めてきた・・・
自分とおなじ人間が、このような食べ物で生きているなどと
考えてみたこともなく・・・・

「ベルサイユのばら」漫画より

黒騎士を追って、負傷し、ロザリーに助けられたオスカルは、食事をいただきます。

野菜が少し浮いているだけのスープがロザリーたちの「食事」であることに驚き、

はじめて一般市民の貧困状況を知ります。

王宮にいる人は、パンも肉も不自由なく食べられるのです。

王宮の中しか見ていない人には決して知らない平民の世界。でもこれが現実・・・。

貴族令嬢なのに、自分の生まれも地位も鼻にかけておらず、

偉そうではないオスカルのまっすぐな人となりが表れている言葉だと私は思います。

貴族とは恥ずかしいものだな。

「ベルサイユのばら」漫画より

お前は王宮の飾り人形と言われ、ショックを受けたオスカル。

実際に自分の人生は全て、父親のいうなりに動いているだけだと悟ります。

生まれながらにして女なのに男らしくあることを一方的に望まれ、

自分はそれを疑問に思わずに生きてきたことを思い知ります。

自分は貴族であるけれど、父親の操り人形と同じ。

貴族であることが本当に素晴らしいものなのかを疑問に思い始めます。

そう女、女というな。嬉しくなってしまうではないか
わたしをしょっぱなから女性扱いしてくれたのは、このフランス衛兵隊だけだ。

「ベルサイユのばら」漫画より

密かに恋していたフェンゼルに気持ちがわかってしまい、2度と会わないように、

王宮の近衛兵をやめ、ベルサイユの街をまもる近衛兵に格下げしてもらったオスカル。

しかし街の近衛兵たちは、オスカルが女性だということで、

誰もいうことを聞いてくれません。そんな時にふざけたように放った言葉。

オスカルは幼い頃は自分が「男」であると思っていたとか。

実は女性であることに気づいてからも、引き続き「男」であることを求められ、

「男」として生きてきたオスカル。

この場面は自虐的に面白おかしく言っていますが、私自身は胸が苦しくなった言葉です。

この時代に、女でありながら男と肩を並べていることは、想像以上に大変だったのではないかと思います。

オスカルはそれを一切出さずに、部下とうまくやりたいと歩み寄るのです。

みんなひとりひとりが・・・どんな人間でもある限り・・・
だれの奴隷にもならない・・・
だれの所有物にもならない心の自由を持っている
だからこそ・・・おまえたちを決して権力でおさえつけまい、処分はするまいと
それがなぜわからんのかーっ!!

「ベルサイユのばら」漫画より

女であることで反抗的な部下たちが、さまざまな無礼を行い、

俺たちを処分してここから出ていけ!!と言う部下に向かってオスカルがブチ切れた言葉。

この言葉で、部下の態度が一変しました。

オスカルが反抗的な部下を処分することはきっと簡単なんです。

それでも処分することが根本的な解決にはならないから、と言うことなんですよね。

私はこういう器の大きいところが女性ならではの対応・・・やはりオスカルも女性なんだなあと思います。

さあ撃て!!
武器も持たない平民議員に手を出すというのなら・・・
わたしの屍をこえていけ!!
わたしの血で紅に染まっていけ!!

「ベルサイユのばら」漫画より

王室と貴族に対する国民の不満がたまり、一触即発の場面で、

本来なら国王側のオスカルが、味方に言った言葉。

オスカルに攻撃することができる人は一人もおらず、

これで、平民は武器を持つまでは、攻撃しないということになりました。

しかし下手したら国王に背くことになります。

オスカルが日頃どれほど部下の信頼があるのか、すごい慕われていることがわかりますね。

しかもこの言葉は、かつて自分に求婚して、フったジェローデルに放った言葉なんですよ。

ここでジェローデルは「あなたに従わないわけない」と去るのですが、オスカルはこの後しばらくして死んでしまうので、

これが最後の別れとなります・・・・。

ジェローデルの後ろ姿がなんだか物悲しい・・・。

あああああ・・・・・。

同情・・・同情・・・?
違う・・・同情なんかではない。
ロペスピエール・・あの清らかさ
ミラボー・・・あの燃える眼
国民議会議長パイイ・・・あのもの静かな力強さ
同情なんかではない、断じて・・・
わからない・・・わからない・・・
同情されているのはむしろ、われわれ貴族の方なのじゃないのか?

「ベルサイユのばら」漫画より

マリーアントワネットが、平民議員のことを下劣で凶暴だと言った時の

オスカルの心の中の言葉です。

マリー・アントワネットは悪い人ではないけれど・・・世間知らずですね。

惜しい・・・本当に惜しい人だなと私は思います。

おしゃれや博打などの自分の楽しいことだけではなく、

もう少し世の中を俯瞰して見られていたら

もしかしたら暴動は起きなかったのではないでしょうか。

ここまできても気づけないのは、皇后としてのプライドなのか、世間知らずなのか・・

うーん、とにかく残念な人です。

アンドレ・・血にはやり、武力にたけることだけが男らしさではない。
心やさしく、あたたかい男性こそが、真に男らしい
頼りになる男性なのだということに気づくとき
たいていの女はもうすでに年老いてしまっている・・・

「ベルサイユのばら」漫画より

出撃の前夜、オスカルとアンドレはようやく結ばれます。

地位も名誉もなく、そして目が見えなくなり、今はオスカルを守ることもままならない。

それを引け目に感じているアンドレに対し、オスカルが言った言葉です。

気づいたのが今でよかったと。

オスカルはすごいモテていましたし(結構マジで好きだった人もちらほら)

アンドレは自分と結ばれないのならいっそ・・・と心中しようとしたり、

一時はどうなるかとハラハラしましたが、アンドレ良かったねー!!

オスカルのアンドレへの愛の深さと、そして人間として大切なことをオスカルは私たちに教えてくれていますね。

たとえなにがおころうとも
父上はわたくしを卑怯者にはおそだてにならなかったと
お信じくださってよろしゅうございます。

「ベルサイユのばら」漫画より

一度は身の安全を図るために、結婚を命じられましたが、祖国のために生きることを決め、市民と一緒に戦い続けると父に伝えたオスカル。

父はこの言葉を聞いて、オスカルの「死」を覚悟しつつも送り出します。

「男」であること「軍人」であることを父が一番望んでいましたからね。

正義感あふれるがゆえ、逃げることもできないオスカル・・・

お父さんの子育ては成功したのか?はたまた失敗したのか??

皮肉なものだなあと私は思いましたが、きっと・・・成功なんでしょうね。

悲しいなあ・・・。

自由であるべきは心のみにあらず!!
人間はその指先1本、髪の毛1本にいたるまで
すべて神のもとに平等であり自由であるべきなのだ。

「ベルサイユのばら」漫画より

オスカルは自分の女伯爵の称号と伯爵領の全てを捨てさり、民衆に銃を向けるのか、

自由な市民として偉業に参加するのか、部下に決めて良いと伝えます。

そしてアンドレにこの戦闘が終わったら結婚式をあげようと伝えるのです!!!

二人が結婚できない理由は「身分の差」のみですから、伯爵位を捨てたことでようやく・・・ようやく結婚できるのです。

オスカルは、戦いに生き残って、結婚できるとは思っていなかったかも知れません。

でも、オスカルも「男」として周りの望んだように生きるのではなく、

自分の意思で「女」として生きることを選び、意思表示したのですね。

これはもう「革命」だと私は思います。

ああそうだ・・なぜ・・・!?
なぜわたしは女だ!?
あ・・・あ!!
こんなにも・・・指揮さえつづけることができないほど・・・
どうして女だ!?

「ベルサイユのばら」漫画より

アンドレが負傷し、瀕死の場面で、戦闘中にも関わらず、オスカルは取り乱してしまいます。

極限の心理状態の最中で、自分が、愛する男性の前では一人の「女性」であることを改めて認識するんですね。

このあとはアンドレが死んでしまい、非常に悲しい場面なのですが、

私は、オスカルの「生」にあふれた思いに、いつもこの言葉で胸が熱くなります。

「ベルサイユのばら」名言・・・アンドレ

これがおまえの目でなくて良かった・・・
片目くらいいつでもおまえのためにくれてやるさ、オスカル。

「ベルサイユのばら」漫画より

黒騎士に攻撃され、左目に大ケガをしてしまうアンドレ。

オスカルのことをこれほどまでに愛しているとは・・と思わずにはいられない言葉。

オスカルが生半可な気持ちでオスカルを愛していないということです。

オスカルも、オスカルの表情を見る限り、アンドレの思いに気づいていましたね。

どんなにどんなに愛しても、身分のない男の愛は無能なのか!?
この命と引きかえに地のはてまで愛しても・・・それでもだめなのか!?

「ベルサイユのばら」漫画より

結婚の話が出たオスカルに対し、なにもできないアンドレ。自分の身分を呪います。

オスカルへの「愛」では誰にも負けないのに、貴族ではないため報われないのです。

このような悲しい恋が、今の時代よりもきっとたくさんあったんでしょうね。

結婚など望んでいません。
ただ・・・わたくしの命など10あってもたりはいたしますまいが
なにとぞ・・・なにとぞオスカルの命とひきかえにわたくしを・・

「ベルサイユのばら」漫画より

オスカルが民衆を庇ったことで、王室に対する謀反だとオスカルの父は激怒し、

オスカルを刺そうとしますが、アンドレが助けます。

そこで、アンドレの気持ちに気づいたオスカルの父が

「貴族の結婚には国王の許可がいる」と伝えたときの言葉です。

いや、すごいですね。さすがに幼い時からそばで二人のことを見ているだけあります。

アンドレがなにも言わなくても、一瞬で気持ちを察してしまう察しの良さ・・。

アンドレの揺るぎない言葉が、オスカルへの愛の強さを表しています。

 

千の誓いがいるか、万の誓いがほしいか
おれの言葉はたったひとつだ
はてしないときを掌に(たなごころ)に
ほのぼのと息づいてきたもの
ときに燃え、ときに眼をとじ
あ・・あ
絶えいるばかりに胸をふるわせ
命をかけたただひとつの言葉をもう一度言えというのか
愛している
生まれてきて良かった

オスカルがアンドレに愛していると初めてつげ、

お互いの気持ちが通じ合った時のアンドレの言葉です。

池田理代子さんのセリフって、本当に美しい詩を読んでいるような気がします。

ものすごく叙情的で、感動します。

オスカルもここで「生まれてきて良かった」と激しく抱擁します。

おそらくオスカルは、ずっと女性であることを許されず、男として生きてきました。

いろんな葛藤を乗り越え、自分が一人の女性であることを認められた瞬間でもあるのでしょう。

そして、唯一本当の姿(=女)をさらけ出せる男性はアンドレただ一人なのでしょう。

「ベルサイユのばら」名言・・・マリー・アントワネット

あ・・あ!!なんというあまいおどろき・・・!
だって・・・フェルゼンはまるでイカルスのように
とつぜんわたしのまえに舞いおりてきて・・・
息が詰まりそうだった・・・!

恋も知らないまま14歳で嫁いだマリーは、ある時フェルゼンに恋します。

一目惚れした時のセリフです。

一瞬で恋に落ちたのが、とてもよくわかるセリフだなと思います。

このからだじゅうの血が あの人に向かってほとばしり
真紅に花開くのを神でさえとめることはできない

オスカルに不倫をとがめられたオスカルに言った言葉。

同じ女であれば、あなたにもお分かりでしょう??と。

「女のこころ・・・」とオスカルは戸惑います。

オスカルは自分が女であることを初めて認識した場面です。

しかしマリーの言葉は、情熱的です。

フェルゼンへの想いがどんなに強いのか、

どんなに恋しているのかが手に取るようにわかります。

たぶん・・・あの4年まえの仮面舞踏会の夜から・・・
ふたりの魂はひそやかに ほんの少しずつもとめあい よびあって・・・
もう 神にさだめられたこのときがいつか来るのを予感しながら
たて琴の銀色の弦のようにふるえあっていたのだ

運命的な出会いだったのですね。

こんな熱いセリフを言いながらも、二人はキスしかしていない間柄です。

「純愛」そのものですね。

制限のある恋だからこそ、言葉に想いが乗るというか、

言葉に発散させているというか・・・私はそんな気がしました。

なぜ・・・神は
わたしという平凡な女にふさわしい
平凡な運命を与えてくださらなかったのであろうか

王室が困窮し、国民の誰一人として味方がいない中、

たったひとりで耐えているマリーアントワネット。

夫は、優しいですが、気が弱くほぼ頼りになりません。

せめてフェルゼンがそばにいてくれたらと思いますが、それも叶いません。

自分はただ一人の男性を好きな女性でありたいと自分の立場を呪います。

ないものねだりと言うか、人間って自分勝手で皮肉なものですね。

「ベルサイユのばら」名言・・・フェルゼン伯爵

オスカル・・・では愛していれば・・・
愛してさえすれば結婚できるのか・・・?

マリーが人妻のため、結婚できない禁断の恋。

フェルゼンは他の女性と婚約します。

顔、趣味、性格・・・どんな女性かも全く知らず、ただ親が決めたからと言う理由だけです。

フェルゼンは興味なさそうです。マリーでなければどんな女性も一緒なのでしょう。

オスカルはフェルゼンへ「それで良いのか?」と問います。

その時にフェルゼンが返した言葉がこれです。

オスカルは、密かにフェルゼンを思っていたので、ハッとしていましたね。

心の琴線に触れたのでしょうか。

わたしを許してほしい・・・
もしもはじめて会ったとき、おまえが女性だとわかっていたら・・・
あるいは二人の間はもっと違ったものになっていたかもしれない

オスカルの恋心に気づいてしまった時のセリフ。

オスカルが女性として生きていたら・・ということは、

オスカル自身が自分に何度も問いたことでしょう。

しかし、女性として会ってはいないし、今さら時が戻せるわけではありません。

オスカルとしては正直嬉しい言葉ではないですよね。切ないなあと思います。

「ベルサイユのばら」名言・・・ベルナール・シャトレ

おれが盗人ならおまえたちは貴族はなんだ!?
自分ではなにも生み出さず、なにもつくらず
人のつくったものを食べ、ひとのつくった服を着て
貧しい民衆にダニのように寄生してくらして
それで盗人よりましだとでもいうのか!?

自分が、貴族のものを盗んでいた黒の騎士であることがオスカルにわかってしまい、

その時に言った言葉。それを聞いてオスカルは反論できません。

オスカルは街で、民衆の貧しい暮らし、どうしようもなく身分に翻弄される人生を

つぶさに見てきました。

お金のために無理やり結婚させられ、それが嫌で自殺したり、

その逆で、婚約をいきなり破棄されて自殺したり・・・

しかも、身分が違うため絶対に結ばれることがないアンドレを

オスカル自身が愛しています。

故にオスカルは貴族の苦しみも、庶民の苦しみも両方の痛みがわかるのです。

本来はベルナールは牢獄へ入るべきなのですが、

オスカルは人違いだったとベルナールをかばいます。

オスカルはマリーアントワネットとは違って、フィクションです。

実在する人物ではありませんが、きっとオスカルのような貴族もいたのだと思います。

「ベルサイユのばら」名言まとめ

セリフのひとつひとつが、名言と言ってもいいくらい、

「ベルサイユのばら」は想像以上に熱い言葉で埋め尽くされいました。

1巻からもうすでにお腹いっぱいです(笑)

人間の影と光、栄光と挫折を通して、本当に「人生で大切なものとは?」を

一貫して問うてきます。

本当に素晴らしい名作だなあと思います。

まだ読んだことがない方は、ぜひ読んでみてください。

図書館にも借りられるところがあるようですよ。

 

ベルサイユのばらをまとめた記事はこちら。
これを読めば「ベルサイユのばら」の大まかなことがわかります。

「ベルサイユのばら」あらすじや相関図など歴史と情熱の中で描かれる愛と犠牲の物語
昭和時代の漫画(アニメ)で有名なものの一つに 「ベルサイユのばら」があります。 「ベルサイユのばら」は、フランス革命前後を史実を参考に 描かれたものです。 当時、日本の女子学生たちの世界史の中世の成績が上がったと言われるくらいの 影響力を与...

 

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