「ベルサイユのばら」マリーアントワネットなど登場人物の「真の愛」の物語

恋愛

私が大人になってから「ベルサイユのばら」を読んで印象的だったのは

結ばれない「愛」がとても多かったこと。

今の時代では到底考えられませんが、当時は不倫は重罪でした。

そして身分の違うもの同士の結婚も、なかなか叶わない時代でした。

ましてや貴族と平民は、絶対結婚することができなかったのです。

しかも「愛しているからこそ離れる」人がやたら目についたような気がします。

清い関係のまま、あまりにも美しすぎる引き際・・・見事だと思わずにはいられません。

「愛」が実らないときに、初めて本当の「愛」の姿が現れるのかも知れません。

そんな「ベルサイユのばら」で実らなかった愛について書いてみたいと思います。

「ベルサイユのばら」の愛・・・フェルゼン→マリーアントワネット

フェルゼンとマリー・アントワネットの2人も有名ですよね。

「ベルサイユのばら」は史実を参考にしているので、

実際に、リアルでも恋人だったと言われています。

もう・・・だめだ!
これ以上アントワネットさまのおそばにいては・・・
あの方をとほうもないスキャンダルの渦にまきこみ
恐ろしい危険にさらしてしまう!
かといってあの人のそばにいながら
あのひとの瞳を、愛のまなざしをこばむには・・・
この燃え上がる情熱を抑えつけるには・・・
あまりにもわたしは若すぎる・・・!!

「ベルサイユのばら」漫画より

アメリカ独立戦争の影響で、フランスからアメリカの遠征軍を送ることになり、

フェルゼンはそれに志願しました。

マリー・アントワネットとフェルゼンは相思相愛でしたが、

マリーは王の妃です。絶対に許されない「愛」でした。

時々、森で束の間の逢瀬をし、キスを交わすくらいの間柄でした。

フェルゼンはマリーとの愛を貫くため、決まりかけていた婚約を破棄し、

一生独身を誓います。

マリー・アントワネットは、フェルゼンに惹かれながらも、夫である王も家族として愛し尊敬しており、

フェルゼンとは一線を超えないんですよね。なんか・・・素晴らしいです。

「ベルサイユのばら」の愛・・・オスカル→フェルゼン

オスカルはアンドレと相思相愛になる前に、フェルゼンに恋していました。

おまえの心の中には ほんのわずかさえもわたしの入れる隙間はないのか・・・
苦しい・・・・
人間とはみなこのように たったひとりで湧き上がる思慕にたえ
恋をしのぶものなのか・・・・
教えてくれアンドレ、ロザリー・・・・

「ベルサイユのばら」漫画より

マリーについている近衛兵だったオスカルは、

間近でフェルゼンとマリーの恋愛を見守っていました。2人は両思い。

苦しい毎日だったと思います。

このセリフに出てくるアンドレもロザリーも、オスカルのことが好きなのです。

オスカルがアンドレもロザリーも愛していないのに、教えてくれだなんて・・と

ちょっと思ってしまったセリフです。

しかし、報われない恋をしていると言う部分では、共感できる2人なんでしょうね。

優しいオスカルのことですから、相手の苦しい気持ちも理解したのかも知れません。

フェルゼンの手・・・フェルゼンの胸・・・うそではない・・・
女性としてのわたしを抱いているのは夢にまで見たフェルゼンの腕・・・

「ベルサイユのばら」漫画より

生まれて初めてドレスを着て、身分を隠して舞踏会でフェルゼンと踊ったオスカル。

あまりの美しいまばゆい姿に、舞踏会にいた人はみんな目を奪われます。

フェルゼンと初めて踊り、夢見心地のオスカル。

しかし、オスカルであることがバレそうになり、逃げるように去りました。

自分を抱いたフェルゼンの腕、自分を見つめた瞳、

自分に似ていると語ったフェルゼンの唇を思い出し、ようやくあきらめられると

暗闇の中、人知れず泣くのです。切ないシーンでした。

「ベルサイユのばら」の愛・・・フェルゼン→オスカル

フェルゼンとオスカルは恋人としては成り立ちませんでしたが、

長年一緒に働いてきた大切な仲間。

そして、人としても尊敬できる間柄であることは間違い無いのです。

わたしを許してほしい・・・
もしもはじめて会ったとき、おまえが女性だとわかっていたら・・・
あるいは二人の間はもっと違ったものになっていたかもしれない

もう永久に会うことはできないな・・・

「ベルサイユのばら」漫画より

フェルゼンが舞踏会で、オスカルに(オスカルだと気づいていないけれど)

あまりの美しさに目を奪われていたのは確かなのです。

場合によっては、フェルゼンにとっては、もしかしたら新たな恋愛に発展した出会いだったかも知れません。

オスカルだと気づいてからも、オスカルの女性としての美しさに気づき、

少しは好きになっていたのではないかと思います。

だからこそ2度と会わない(会えない)と言うのです。

これがきっかけでオスカルは近衛隊の隊長を降格し、王宮専属の近衛兵から、

ベルサイユの街の近衛兵になります。

「ベルサイユのばら」の愛・・・ロザリー→オスカル

ロザリーは母を亡くし、オスカルの家に引き取られます。

親戚同士ということです。

ロザリーもオスカルの美しさや優しさや聡明さにメロメロになってしまう一人です。

オスカルさま・・・あなたが女性であっても愛しています。
オスカルさまが死ぬほど好き・・・。だからこそお別れするのです。
わすれることなんかできない・・・ジャルジュ家ですごした
わたしの生涯の1番幸せな日々・・・
はじめての愛・・・!!

「ベルサイユのばら」漫画より

ロザリーは、初めは拒否するものの、

オスカルのために、オスカルの元を離れ、ポリニャック家にいきます。

オスカルもロザリーを「春風のような女性」と表現しており、自分にとって

特別な存在であったということを何度か言っています。

自分が男だったら・・・と言うセリフもあったので、

オスカルにとっても、ロザリーはかなり特別な感情を持っていたと思います。

「ベルサイユのばら」の愛・・・ジェローデル少佐→オスカル

ジェローデルはオスカルの部下です。

ジェローデルもオスカルに密かに思いを寄せていたようです。

ここに一人の男性がいる・・・彼は・・・彼はおそらく
わたしが他の男性のもとにとついだら、生きてはいけないだろうほどに
わたしを愛してくれていて
もし彼が生きていくことができなくなるなら
彼がふしあわせになるなら・・・
わたしもまたこの世で最もふしあわせな人間になってしまう・・・

(オスカルの言葉)

「ベルサイユのばら」漫画より

社会情勢が不安定になり、オスカルを危険から遠ざけるために、

父が結婚を勧めたときに求婚してくれたのがジェローデルです。

この頃は、すでにアンドレの思いを知っていたオスカルは

ジェローデルに上記のように断ります。

彼が不幸になれば、あなたも不幸になる・・・
それだけで十分です。納得しましょう。
わたしもまた・・・あなたが不幸になるなら
この世で最も不幸な人間になってしまうから・・・です。
受け取ってください。
わたしの・・・ただひとつの愛の証です・・・身をひきましょう・・・

「ベルサイユのばら」漫画より

喜怒哀楽がやたらめったら激しい登場人物が多い中、ジェローデルは

感情の起伏がほとんどない、表情のひとつも変えない、落ち着いた(落ち着きすぎて気味が悪い笑)男性でしたが

オスカルへの愛は真摯なものだったようですね。

相手の幸せが自分の幸せであるゆえ、

愛の証として身をひく・・・。

頭ではわかりますが、実際なかなかできないことですよね。

別れ方で、その人の男っぷりの良さがわかりますね。

ああ、男前だなあ・・惜しいことしたなあとオスカルもちょっと思ったに違いありません。

「ベルサイユのばら」の真の愛 まとめ

人間にはそんな愛もあったのだとは・・
人間であればこそ・・・そんな愛も・・・

「ベルサイユのばら」漫画より

これはオスカルの言葉です。

オスカルは将軍の家系の生まれという身でありながら、

役職や立場を超えて、平民にオスカルなりの愛を注いだ女性でした。

そして、そんなオスカル自身も、男女問わずたくさんの人に愛された女性でした。

ベルばらには「同じ人間」という言葉がよく出てきます。

どんな身分でも、一人の人間ということは変わらない。

等しく、愛し愛される存在であるということ。

ベルサイユのばらはとても大切なことを教えてくれていると思いました。

人間にとって結果はどうであれ、相手がどうであれ、「愛する」ことって大切なんだなあとつくづく私は思いました。

ああ、ぜひみんなに読んでほしい。

 

こちらに「ベルばら」のことをまとめて書きました。
ベルばら愛が詰まっています。これを見ればあなたもベルばらが好きになる!

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